ひと・宇宙・波動 2

 人にも世界にも一定のリズムがあるが、それは根本的に世界が波動で成り立っているからだろう。粒子であれば、特定の位置に時間という要素を抜きにしていつまでもあり続ける、というイメージも成り立つが、原子よりも遥かに微細な領域では、存在は波動である、という前提でないと方程式自体が成立しない。

 

 波動は、周期性を持つからおのずと繰り返す性質を持つ。その繰り返し方がリズムであって、我々は決して静止している存在ではなく、一定のリズムをもって生きている存在であると言える。自分にもリズムがあり、他者にもリズムがあり、世界そのものにもリズムがあるので、それぞれの間には協和もあるし、不協和もある。

 

 全体的には協和があるから世界は平穏なのだが、その中に不協和をはらむからこそ、世界は突発的に変化したりもする。一定のリズムをきざむ時間帯とそれが破れる時間帯とがあり、それが破れる時は、風雲急を告げる、というようなことになる。

 

 協和は不協和を常にはらんでいるし、不協和と言ってもそれは協和をめざす運動であると見ることもできる。今がどんな時なのかを知ることが大きな歴史的事件を起こすにせよ、個人的な日常の決断をくだすにせよ、必要な知識であり、それを知るために多くの文明では「こよみ」が作られてきた。

 

 キリスト暦2024年にあたる今年は、「甲辰」と呼ばれる。わが国の古文書でもその年を表現するにはほぼこの干支が使われて来た。庶民一般には現在いかなる天皇が即位しているかは周知されにくく、南北朝のように事情が複雑になる場合もあったから、中国式の干支が便利であったためだろう。

 

 干支は60通りの組み合わせを10種の「干」と12種の「支」であらわしたものだ。10種と12種を覚えれば、60通りの組み合わせを表現できる数学的に便利なものだが、これで大きなリズムの中で、現在がいかなる「年」「月」「日」であるかが示される。

 

 暦のリズムをつかんでおいて、それに合わせて何かをはじめる、終える、ということは、自分を世界とつないでおくためにも有意義なことであると言える。