ひと・宇宙・波動 3

 ひとはどのように自分を認識できるのか。20世紀の西洋哲学を席捲したとも言える現象学的な見方をすれば、ひともものも関係の中ではじめてその特質を示す。量子力学でも、ものは波動性を有しており、観察者との関係抜きにその存在を決定できないと述べる。哲学も物理学も20世紀のそれは、存在はそれ自体を語るべきものではなく、関係においてはじめて発現するもの、という見方を示している。

 

 自分はどんな関係の中で生きているのか。自分には親がおり、家族がおり、近所には隣人たちがおり、学校や職場に行けば上司な同僚などがいる。そういう複雑な人間関係を消化し、操作しながら生きるのが人生であるが、それらの様々な関係の中に自分という存在がある。自分は必ずしも一面的あるいは確定的なものではなく、他者との関係によって揺れ動き、変化をやめないものである。

 

 そういう自分のあり方を客観的に見る、というのは至難であって、容易なことではない。自分も変化し、他者も変化する中で、いろいろなイベントが生まれ、それが関係を大きく変えたりもする。そういう波浪に翻弄されるようなのが人生であるとしても、関係の総和としての自分というものは間違いなく存在する。

 

 ひとは誰でも幸せになろうとする。その幸せとは何であろうか。他者との関係の中に調和と安定があり、時間が快適に流れるとすればそれが幸せという状態であろう。しかし、幸せはいつも崩れる可能性を秘めており、つかんだ瞬間からそれを裏切る動機が生じたりもする。そういうドラマが人生であり、人生を変える瞬間に人は決断をする。

 

 決断には良いものと悪いものがある。悪い決断は、その場、その時には甘美で自分を満足させるが、それが過ぎ去れば、苦悩や悔恨に苛まれる。いつも良い決断、正しい決断をするために必要なものがあるとすれば、それは人生における知恵であろう。知恵とは、多くの先人たちが積み重ねて来た経験知の総和であると見ることができる。知恵を携えて生きることが幸せな人生を生きるための要諦であろう。